大判例

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東京高等裁判所 昭和50年(う)1163号 判決

被告人 黒坂正蔵

〔抄 録〕

ところで青信号の表示に従って交差点に進入しようとする自動車運転者は、特別の事情がないかぎり、左右道路から信号を無視して交差点内に進入する車両がないことを期待して運転すれば足りるわけであり、このことは基本的には歩行者の場合でも異なるところはないと解されるのであるが、しかし、それだからといって、自動車運転者にとり最も基本的な注意義務である前方注視義務まで一般的に免除されるものではない。

そこで、記録ならびに当審における事実取調の結果に基づき、さらに検討すると、本件事件当時、被告人車は時速約三五キロメートル(秒速九・七メートル)で、前照灯を下向きにして走行していたのであるが、その照射距離は四〇メートルないし五〇メートルであったというのであるから(被告人の検察官に対する供述調書及び原審公判廷における被告人の供述)、被告人車が衝突地点からすくなくとも照射距離の四〇メートル手前(約四・一秒前)に達したときには被害者寺井テル(その歩行速度を約一・二一メートルとして)は横断開始地点から車道内に約三・六三メートル進出していたことになり(急に飛び込んできたのではない)、本件当時雪国の夜とはいえまだ午後七時四五分ころで歩行者のあることが当然予想される時刻であるから、被告人において前方注視義務を尽しておれば、照射距離内で、横断を開始した寺井テルを発見し得るはずであったのである。

ちなみに、本件当時とほぼ同一の条件のもとで本件当時の状況を再現して見分した結果を記載した昭和五〇年五月一七日付司法警察員作成の実況見分調書によると、被告人車と同型の自動車を使用し、前照灯を下向きにして、本件当時の服装をした被害者を当時のその横断歩行線上の本件衝突地点及び同地点に至る付近の地点に立たせて測定したところ、衝突地点の約三七・五メートルないし約三三・五メートル手前で被害者の姿が黒い人影らしく見え、その約二五・六メートル手前ではそれが歩行者であることが明認できた旨の記載がある。

本件の場合、被告人は時速約三五キロメートルで走行中、寺井テルを発見して急制動の措置をとり、約一五メートルないし二〇メートル(昭和四六年一二月一四日付司法警察員作成の実況見分調書及び当審受命裁判官の検証調書)進行して停止したのであるから、これを制動距離とみると、被告人車が優に制動距離外である地点、すなわち衝突地点の手前で歩行者との衝突を避けるための停止又は回避の措置をとり得る安全距離圏にあった時点において、寺井テルはすでに横断を開始し交差点内に進出していたこと、及びその歩行態度からして同人が信号を無視して横断しようとしている状況であったことは、被告人が前方注視を怠らなかったならば十分確認し得たであろうことは明らかである。(被告人が寺井テルを発見し得たのは約一四・六八メートルに接近した地点である。)

このように横断歩行者の信号無視が予見し得る場合には、自動車運転者において回避措置を講ずるのが相当であるから、本件事故につき被告人に前方注視を怠った過失のあったことは否定し得ないといわなければならない。しかるに、被害者発見に遅滞はなかったとして被告人の過失を否定し無罪の言渡をした原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があり、論旨は理由がある。

(相沢 大前 油田)

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